子供と一緒にお仕事の日々

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【本】『チーム・バチスタの栄光』海堂尊、宝島文庫、2007年

チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599) (宝島社文庫)チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599) (宝島社文庫)
(2007/11/10)
海堂 尊

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東京から信州北部に帰る3時間、退屈を吹き飛ばしたくて、これまでずっと気になっていた本を購入。期待通り、もう新幹線に乗っていることさえ忘れるような楽しい時間がアッという間に過ぎた。長野新幹線で上巻を読み終えて、下巻は飯山線の中で堪能。ローカル線の優雅な時間もどこへやら。気がついたら雪に埋もれる戸狩野沢温泉駅に到着。あースリリングで楽しかった。続編もぜひ読んでみたい。

やっぱり主人公は田口&白鳥なのか?それとも別の主人公&白鳥??映画化もされるらしいけれど、私のイメージだと阿部寛が桐生だったのに(なぜ、白鳥?)。

東城大学医学部付属病院は、米国の心臓専門病院から心臓移植の権威、桐生恭一を臓器制御外科助教授として招聘した。彼が構築した外科チームは、心臓移植の代替手術であるバチスタ手術の専門の、通称“チーム・バチスタ”として、成功率100%を誇り、その勇名を轟かせている。ところが、3例立て続けに術中死が発生。原因不明の術中死と、メディアの注目を集める手術が重なる事態に危機感を抱いた病院長・高階は、神経内科教室の万年講師で、不定愁訴外来責任者・田口公平に内部調査を依頼しようと動いていた。壊滅寸前の大学病院の現状。医療現場の危機的状況。そしてチーム・バチスタ・メンバーの相克と因縁。医療過誤か、殺人か。遺体は何を語るのか…。栄光のチーム・バチスタの裏側に隠されたもう一つの顔とは。第4回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。




関連エントリ:
『ナイチンゲールの沈黙』 読後の短い感想

【本】『アメリカ下層教育現場』林壮一、光文社新書、2008

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)アメリカ下層教育現場 (光文社新書)
(2008/01/17)
林 壮一

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こちらのblogでの紹介がおもしろそうだったので購入。一気に読めて、とてもおもしろかった。オススメ。

読後の感想はただ一言。
「著者のやってたことって、去年の私のCでの授業と一緒じゃん」
いや、公園に連れ出したり、家庭の心配まではしなかったけど、やってる内容って私のと同じ。つまり、私がいいたいのは、この本のオビにあるような「これは日本の将来の姿か?」ではなくて、「もうとっくに日本の底辺の高等教育現場って、アメリカくらい荒れてるよ」ってこと。

とりあえず、明日のパンに困るわけではないけれど、下層でも家庭に問題があるわけでもないけれど、ケバケバしい服装&化粧で、不本意ながら教室に来るし、常識なんてない子が多いし、話なんて最初から聞く気ないし・・・アメリカもCと同じ。まあ、少しマシって程度。
でも、クラスにまとまりができてきたら、私の仕事もなりたってきて・・・ってあたりも著者の学校と同じ。根はいい子たちってことも、同じ。でも、高校卒業した若い子たちでは、今更どうしようもないってところも著者のクラスと同じ。

問題は、家庭崩壊&貧困が彼等をそういう風にしてしまっている・・・と考えられるアメリカに対して、別に家庭崩壊しているわけでもなければ貧困ってわけでもない(それどころか、かなり高い学費を払っている)日本で、状況が同じってことだろうな。
「うちで授業ができれば、どこででもやれますよ」「ずっと小学校から底辺をはいまわってきた子供たちだから、教師の顔色伺うことしかしないの。」云々をCの先生たちから言われたときには、どんな!?と思ったなあ。実際、わずか半年にしては、かなりよくやれたと思う。彼等はそれなりにかわいいけれど、やっぱり高等教育ってのは、それなりに「意欲」を伴わない学生は進学させるべきじゃないと思うよなあ・・・本来。
それでも、「受け皿」としての役割があるというなら、それ相応にそれなりの仕事はさせてもらいますけど。

【本】『なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか?』岸本裕紀子、講談社+α新書

なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか? (講談社プラスアルファ新書)なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか? (講談社プラスアルファ新書)
(2007/09/21)
岸本 裕紀子

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どこかで紹介されていたので、図書館で予約した本。
やさしすぎる現代の若者事情を紹介+分析していて役に立つ。
そうなのよね、いくら「最近の若い人は○○で困る!」って思っても、それは若い人たちだけのせいではないから、やっぱり大人側が対応できるところはして、できないところは若い人たちにがんばってもらわないといけないから。「敵を知り、己を知る・・・」必要があるから。

で、「半径1m」ってのは比喩的な表現だけど、本書を読んでいけば、それがセールスのための大げさな表現ではないことがわかる。というか、私自身が若い人たちと毎日接していて実感しているから。
努力したくない、目標を持ちたくない、話題は身近なことだけでいい、今が「心地よければいい」・・・なにより失敗が怖い。挫折したくない。まだ、とっても若いのに、それがデフォなナイーブな若者たち。筆者の勤めた大学はそこそこのレベルなので、私の仕事先のMぐらいに相当するかな。結構、参考になった。
でも、Cはさらにその下のランク。だからナイーブどころか、まともに勉強したことすらないし、そもそも興味もない。求めるのは資格だけ。そういう人は、高等教育いらないから、ガンガン専門教育へ進めばいいと思うんだけど、「なんとなく」雰囲気で、「適当に側にあったパンフみて」進学して「後悔しちゃう」ってわけ。で無気力で過ごす。これは私が実際に本人から聞いた話。おいおい、そんな簡単に人生諦めちゃうの? ってか、最初から放棄しているの?

そんな彼等の中で、私はどういう仕事をしたらいいのか・・・
Cの場合、彼らの「自主性」を待っていたら、30年たっても仕事にならないことだけは確か。ビシビシ厳しく、そして常に声をかけて。でも、半年で私ができることはたかが知れているので、ほどよく力を抜いて・・・って感じかな。

【本】『ラスト、コーション』(色|戒)、アイリーン・チャン、集英社文庫、2007

ラスト、コーション 色・戒 (集英社文庫 チ 5-1) (集英社文庫 チ 5-1)ラスト、コーション 色・戒 (集英社文庫 チ 5-1) (集英社文庫 チ 5-1)
(2007/12/14)
アイリーン・チャン



映画に興味があったので、原作にもチャレンジ。
といっても翻訳バージョンだけど(中国語の原作も入手済み。短いからすぐ読めるはず)
短編「色、戒」含む短編集。

で、李安の映画がかなり原作を忠実に再現していることがわかった。
やっぱりジェスフィールド76号の史実をキホンにしちゃいけなかったのね・・・(すこしショック)
それでもなあ・・・やっぱりなあ、なんかひっかかるんだよね。あの映画。

原作にも確か林語堂の言葉だったと思うが、
「到女人心理的路通過陰道」という言葉が出てくる。
李安はこれを映像で表現したかったのだろう。
だけど、私はこの点だけは納得がいかない。
実際、原作では王佳芝はこの言葉を否定しているし、
張愛玲もこれを男根主義的意見と笑うつもりで引用したと読める。
事実、脚本化にあたり、2人の脚本家のうちの1人である王恵玲は、
王佳芝の行動の理由は演劇の舞台より刺激的な暗殺計画にのめりこんだ
ヒロインがハッと我に帰ったのだと解釈しているらしい。
性愛が愛に変わり、易の人間性に触れて惻隠の情を起こしたとする解釈は
おそらく、李安ともう1人の男性脚本家の意見によるものではないか。
そもそも性愛に目覚めるほど2人は関係を持っていない。
原作ではたった2回、さすがに映画ではそれでは少なすぎると思ったのか、
3回だが、そのうち1回はほとんど強姦のような形での交わりだ。
そんなので女が愛に目覚めると思うのは実に男らしい身勝手な解釈だと思う。
マダム・チャンの日記


【本】『黒山もこもこ、抜けたら荒野』水無田気流、光文社新書、2008年

黒山もこもこ、抜けたら荒野  デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)
(2008/01/17)
水無田 気流



・404 Blog Not Found : 希望はユーモア
・雑種路線でいこう:「羊狩り社会をぶっ壊せ」

二つのblogに紹介されていたので、ちょっと立ち読み。そして購入。おもしろかった。
著者はなんか、まるでもう一人の自分のよう。
両親とのジェネレーション・ギャップ。普通を装っていた小学校・中学校時代。自分と周囲の乖離感を埋めるために、言葉を捜して読書に没頭した日々。(そして、結局、溝は埋められないと気づく三十路w)彼女みたいに繊細で逃げ出そうとしたり、先生に余計なことを言ったりはしなかった(できなかった)けれど。
山の中の伝統ある村だったからかな? 著者のような新興住宅地とは違って、もっとドギツク男社会だったし。一方で、そことは違う世界があると知っている東京生まれの「文化」を知っている母親がいたし。両親ともに体育会系だったけど、私もそこそこ体育会系に馴染めたから被害も少なかったのか。偏頭痛程度で済んだのか。

著者が「普通」にあこがれつづけたっていうのは、私でいうと「同性で話がとことん合う友達がたくさん欲しい」ってことかな。ご近所じゃ「仕事してる」だけでママ仲間とは生活時間帯も違えば一線画されちゃうし、保育所では「ダイガクで働いてる」「専門職」ってことで特別視か敬遠されるし。そして、仕事先に行けば「結婚して」「子供がいる」のに、「ロンブンも書いている」ってころで、また少数派になっちゃうし。

もういいや、どうせ少数派なんだからひらきなおろうって思えたのはそれこそ、著者と同じ三十過ぎ。これを「手遅れ」とユーモアにせず、「スキルアップした」と自己満足で捉えるあたりが私か・・・救いようがあるのか、ないのか。

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Author:qimangul
一児の母。文系専門系。「ちまんぐる」はniftyserve時代からのHN。新疆でウイグルの人たちがくれた名前。


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