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No 381
Date 2007・05・21・Mon
【資料】中国人の労務者13万人昭和19年(1944)12月、旧日本政府大東亜省の華工補導本部長森重干夫(本出版当時:東京精密工業KK取締役会長、東京都世田谷区岡本3の△△の××)の話。
古い本を読んでいると、ときどきびっくりするような記述に出会う。なかでも膨大なインタビューに基づくこのシリーズはすごい。 まずインタビューされる人の住所や戦争中・戦後の肩書きがいちいち明記されている!この本は読売新聞に連載された文章を書籍化したらしいので、新聞掲載時にも当然住所や肩書きはあったはず。今では考えられない。 インタビュー記事には誤認や記憶違いもある。それを別の関係者がまた投書して指摘したりしている。いちいちすごい。 そして、戦争中の不文律も機密もさらっとあっさりと証言されたりしている。当事者たちがたくさん生きていたから「なにをいまさら」なことなんだろうな。 逆に、戦争当事者たちがいなくなりかけている現在の方が、ややこしいことや過激なことになりやすいのだろう。 参考までに、『昭和史の天皇』で蒐集された資料は以下の形で整理保存されているとのこと。
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No 345
Date 2007・04・13・Fri
【中国人らしい話】温家宝と李鴻章
この話を読んで、ふと思い出したのが李鴻章の話。日清戦争の講和の使者として来日し、屈辱的な下関条約を結んだ。1895年のこと。李鴻章は
とつねづね言っていたという。 その後、ロシア皇帝ニコライ二世の戴冠式に出席した李鴻章は、ヨーロッパ各国をまわり、大西洋を渡ってアメリカ各地で歓迎を歓迎を受け、バンクーバーからアメリカ船で帰国し、日本の横浜で天津行きの船に乗り換える必要があった。このとき日本でも歓迎の用意をしたが、李鴻章は船内にとどまって上陸しなかった。
温家宝首相は、専用機で東京から伊丹空港へ移動し、そこから京都に向かったそうな。
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| 子供と一緒にお仕事の日々 |
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