子供と一緒にお仕事の日々

大阪在住。育児と仕事と読書、映画、料理、旅など (旧ちま' shomepageは一時閉鎖中。読書やレシピデータはこちらのblogへ移動予定)
No  381

【資料】中国人の労務者13万人

昭和19年(1944)12月、旧日本政府大東亜省の華工補導本部長森重干夫(本出版当時:東京精密工業KK取締役会長、東京都世田谷区岡本3の△△の××)の話。

ついでなので華工補導本部について簡単に説明しておきましょう。これは官制上は存在しない部局なんですが、中国人の労務者を13万人ほど連れて来て九州の炭鉱夫、門司や神戸の沖中士、沼津の飛行場づくりなんかにつかっていたんですね・・・(略)。

   読売新聞社編『昭和史の天皇』14、1971年、8頁。



古い本を読んでいると、ときどきびっくりするような記述に出会う。なかでも膨大なインタビューに基づくこのシリーズはすごい。
まずインタビューされる人の住所や戦争中・戦後の肩書きがいちいち明記されている!この本は読売新聞に連載された文章を書籍化したらしいので、新聞掲載時にも当然住所や肩書きはあったはず。今では考えられない。

インタビュー記事には誤認や記憶違いもある。それを別の関係者がまた投書して指摘したりしている。いちいちすごい。

そして、戦争中の不文律も機密もさらっとあっさりと証言されたりしている。当事者たちがたくさん生きていたから「なにをいまさら」なことなんだろうな。
逆に、戦争当事者たちがいなくなりかけている現在の方が、ややこしいことや過激なことになりやすいのだろう。

参考までに、『昭和史の天皇』で蒐集された資料は以下の形で整理保存されているとのこと。


○松崎昭一氏旧蔵『昭和史の天皇』取材資料
厖大なもので、内容は、木戸幸一・大島浩以下多数の人々のオーラルのテープとそれに関連して収集された史料。武田知己氏が中心になって大東文化大学で整理を進め、平成十八年三月読売新聞社にあった史料(次項)とあわせて目録『読売新聞社「昭和史の天皇」取材資料目録』(過去のオーラルヒストリー目録1)を刊行した。近く国会図書館憲政資料室に寄贈していただく予定。

○読売新聞社にあった『昭和史の天皇』の取材資料
伊藤隆の要請により読売新聞社から寄託された。多数のテープとそれに関連した資料。前項に述べたように目録が刊行され、前項と同時に国会図書館憲政資料室に寄贈していただく予定。

近代日本史料研究会

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No  345

【中国人らしい話】温家宝と李鴻章

温家宝首相の来日の際に、問題になっていることのひとつに移動手段があるらしい。東京滞在は1日だけで、京都に移動するらしいのだが、その際に新幹線は使えないのだと。なんとなれば、日本の新幹線導入をリジェクトした手前、首相がその新幹線に乗ったりするのはメンツにかかわるという。アホみたいな話だが、中国らしいともいえる。で、どうやって「のぞみ」を使わずに、東京から京都へ移動するんでしょう。やっぱり羽田から伊丹に飛んで、そこから逆戻りするんでしょうか?溜池通信(2007/4/10)



この話を読んで、ふと思い出したのが李鴻章の話。日清戦争の講和の使者として来日し、屈辱的な下関条約を結んだ。1895年のこと。李鴻章は

私は二度と日本の土を踏むつもりはない。あんな屈辱は一生に一度だけでよい


とつねづね言っていたという。
その後、ロシア皇帝ニコライ二世の戴冠式に出席した李鴻章は、ヨーロッパ各国をまわり、大西洋を渡ってアメリカ各地で歓迎を歓迎を受け、バンクーバーからアメリカ船で帰国し、日本の横浜で天津行きの船に乗り換える必要があった。このとき日本でも歓迎の用意をしたが、李鴻章は船内にとどまって上陸しなかった。

同行の息子の李経方が、
「輿に乗って船を移って下さい。日本の土を踏んだことになりませんから」
と、言ったが李鴻章はまだうごかない。
「輿をかつぐ人間の足が日本の土を踏んでおろう。やめた」
「では、小舟で乗り移りましょう」
「その舟は日本のものか?」
「この港のものですからそうでしょう。それなら、二隻の船を近づけてはしごをかけ渡しましょう」
(浅田次郎『蒼穹の昴』4巻、陳舜臣あとがきより)


温家宝首相は、専用機で東京から伊丹空港へ移動し、そこから京都に向かったそうな。


蒼穹の昴(4) 蒼穹の昴(4)
浅田 次郎 (2004/10/15)
講談社

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